電気羊はアンドロイドの夢をみるか

Essay
android

ドロイド君は今回の記事とはまったく関係ありません!

コマ送りのようにぎこちなく動く第一次世界大戦の兵士の映像、白黒の画面の中で演説するヒトラー、広島の空に立ち上るキノコ雲、東京オリンピック、大阪万博・・etc.

僕はいま三十代前半だが、小さいころから「過去の映像」は、どこかぎこちなく、色あせている、自分の時間軸とはあまり関係のない事として見てきた。
なかなかうまく表現できないのだが、現実に起きたことだけれど、どこかフィクションっぽい感覚、とでも言えばいいのだろうか。

だが。そのように感じてしまうのは、ひとえに映像技術が未熟だっただけなのではないか?
この映像を見て以来、そんな認識を抱くようになってきた。

(HD)1992年の東京の日常風景 1/2

1992年の東京の日常風景を撮影した映像なのだそうだが、今までの見慣れていた過去の映像と一点異なる点がある。
20年以上前の動画なのだが、ハイビジョンで撮影されているのだ。

この映像をHDで見てどう感じただろうか?
僕はこの映像を見て、まったく「古い」という印象を受けなかった。
髪型やファッション、看板などの装飾などに、ちょっとした違和感を感じこそすれ、滑らかに再生されるこの映像からは、1992年の情景、息遣いがまるで昨日の事のように、色あせることなく伝わってくる。

これは映像技術がついに到達点もしくは、それに近いところまで来たという事ではないのだろうか。

今、僕達がスマホで気軽に撮影しているフルHDムービー。
それは100年後、いや1000年後にもまるで昨日の出来事のように映るのだろう。

なんだか嬉しくもあり、怖くもある。






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